七夕の織姫と彦星の由来は?いつから始まったの?短冊はなぜ飾る?

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七夕の夜になると、私たちは短冊に願い事を書いて笹竹に吊るし、その願いがかなうことを夢見ます。
当たり前のようにやることですけれども、これってとっても不思議な風習ですよね。

私たちはなぜ、七夕の日に短冊を吊るすのでしょうか?
そもそも、七夕伝説の代名詞、「織姫と彦星」は七夕と何の関係があるのでしょうか?

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七夕の「織姫と彦星」伝説

織姫と彦星の伝説は、元々は中国から伝わってきました。
彼らは夜空に輝く星に自分たちの望みを託して、あるロマンチックなお話を思いつきました。
それが、「織姫と彦星」です。

前編~2人の出会い、そして結婚~

天の川の西岸に織姫(こと座の1番星、ベガのこと)という姫君が住んでいました。
彼女は名前の通り機織り(はたおり)の名手で、おまけに大変な働き者。
織姫のお父さんである天帝は、そんな娘を溺愛していました。

ある日、娘の結婚相手を探していた天帝は、天の川の東岸に住む働き者の牛使い、彦星(わし座の1番星、アルタイルのこと)を引き合わせます。

気の合った二人はたちまち恋に落ちます。
そしてお父さんの天帝も結婚を認め、二人は晴れて夫婦になりました。

夫婦となった二人は、いつまでも仲良く暮らしましたとさ。めでたしめでたし・・・
とはなりませんでした。

後編~2人の別れ、そして再会~

結婚してからの二人は、それはそれは仲が良い夫婦でした。
ですが、夫婦生活があまりにも楽しすぎて、二人は仕事をするのをやめてしまいました。
天帝の下にも、「あの二人が仕事しなくて困ってます」という知らせが次々届くようになります。

これにはさすがの天帝も激怒。天の川を隔てて二人を引き離し、2度と会えないようにしました。
そうすれば、二人がまた仕事のほうに集中するだろうと思ったのです。

ところが、事態は天帝の思うようにはいきませんでした。
引き離された二人は毎日のように悲しむばかり。当然、仕事なんて手につきませんでした。
これには天帝も困ります。仕事をしないことよりも、悲しみに明け暮れる二人を見ているのが辛かったのです。

そこで天帝は、七夕の夜に限って二人が再会することを許しました。
こうして二人は年に一度の再開を夢見て、再び仕事を頑張るようになりました。

そして、七夕の夜は天帝の命を受けたカササギの翼にのって天の川を渡り、年に一度だけ再会するようになったのです。
めでたしめでたし。

なんというか、「いい人同士が結婚すると逆にダメになる」というのは昔から語り継がれてきたんだなーって思いますね。

七夕はどうして「七夕」という名前なの?

七夕と書いて、どうして「たなばた」と読むのでしょうか?
実はこれにも深い理由があります。

織姫と彦星の二人の再開を祝って、中国で「乞巧奠」(きっこうでん)という行事が生まれます。
「乞」は願う、「巧」は上達する、「奠」はまつるという意味で、織姫にあやかって機織りを上達するように願いました。
それが時代とともに変化していって、機織りだけでなく、様々な習い事の上達を願うようになっていきました。

日本に乞巧奠(きっこうでん)がやってきたのは、奈良時代のこと。
遣唐使がやってきたときに日本にこの風習が伝えられ、それが民間に広まっていきました。
ですが、乞巧奠(きっこうでん)が伝わる前にも、実は日本には似たような行事があったのです。

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旧暦の7月はお盆や稲の開花期、麦などの収穫期にあたります。
昔の日本では7月になると、機で織った布を祖霊や神にささげたり、税として収めたりする風習がありました。

そこで、お盆に先立ってご先祖様をを迎えるために、乙女たちが水辺の機屋にこもっておはらいをして、機を織る行事が行われていました。
この行事を、昔の日本では「棚機」(たなばた)と呼んでいました。

やがて棚機(たなばた)と乞巧奠(きっこうでん)は一体化して、一つの行事としてみなされるようになります。
そして、7月7日の夕方を表して七夕(しちせき)と呼ばれていたものが、棚機(たなばた)にちなんで七夕(たなばた)という読み方に変わっていったのです。

要するに、七夕の名前の由来は当て字だったということです。
四月一日(わたぬき)とか五月雨(さみだれ)のようなものでしょうか。

七夕に短冊を飾る意味は?

ここまで読んで、「あれ?短冊の話が一個もなくない?」と疑問に思った方もいると思います。
その通りです。昔の七夕には、短冊をつるす習慣はありませんでした。

七夕に短冊をつるして願い事をするようになったのは、江戸時代から。
七夕が伝わったのが奈良時代の話なので、そこから千年くらい後のお話ですね。

江戸時代になると、寺子屋(今でいう学校のようなもの)で学ぶ子が増えるようになりました。そこで子供たちは、星に文字の上達を願うようになったのです。

当時はサトイモの葉に溜まった夜露を集めて墨をすり、その墨で文字を書いて文字の上達を願いました。
「サトイモの葉は、神からさずかった天の水を受けるお皿である」と考えられているため、その水で墨をすると文字も上達するという言い伝えがあったのです。

コラムちなみに、七夕の風習は中国や韓国にもありますが、短冊を吊るすのは日本だけです。
魔改造とか呼ばれたりもする、日本特有の文化ですね。

まとめ

七夕は、実は千年以上の歴史がある行事でした。
当時の人は、まさか今日まで語り継がれるとは思わなかったことでしょう。

今を生きる私たちも何か新しい風習を作れば、もしかしたら千年先まで語り継がれるかもしれませんね。
それを遠い空の向こうから眺めるのも、面白いかもしれません。

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